2026年10月「カスハラ対策義務化」と、中心を欠いた社会が直面する課題
いよいよ2026年10月1日より、改正労働施策総合推進法が施行され、企業規模を問わずすべての事業主に「カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)対策」が義務付けられます。労働者を一人でも雇用していれば対象となり、猶予期間はありません。
なぜ今、国を挙げての法整備が必要となったのでしょうか。その背景には、長年日本社会が抱えてきた労働環境の歪みと、社会構造そのものの課題があります。
ブラック企業とモンスター消費者は、表裏一体である
かつて社会問題として大きく取り上げられた「ブラック企業」に代表される過酷な労働環境と、行き過ぎた要求を行う「モンスター消費者」は、表裏一体の存在です。過剰な自己犠牲を強いる労働を美徳とする空気が、「対価を払っているのだから神様として扱われて当然」という一部の過剰な権利意識を培養し、日本のサービス業全体を疲弊させてきた側面は否めません。
そしてもう一つ、この問題の根底には、日本社会特有の「中空構造」という見逃せない要素があります。
「泣く子と地頭には勝てぬ」社会の中心には、誰もいない
日本には古くから「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがあります。理不尽な要求に対し、正面から是非を問うのではなく、現場の人間が自己犠牲を払って「その場を丸く収める」ことで社会を回してきました。これは、日常的なビジネスの摩擦や当事者間のトラブルにおいて、絶対的な善悪の基準を示す「司法」という第三者的機能が身近に存在せず、事実上機能していないことに起因します。
強固な調停者が中心に不在であるため、問題の解決は常に当事者間の力関係や「その場の空気を読むこと」に委ねられます。結果として、声の大きな者や立場の強い者の主張が通りやすくなり、その重圧を現場の最前線がすべて吸収するという構造が常態化してしまったのです。
刑罰ではなく、行政の手続きで担保される義務である
今回の義務化は、措置を講じなかったこと自体に罰金や懲役を科すものではありません。履行を担保するのは、厚生労働大臣による助言・指導・勧告、勧告に従わなかった場合の企業名の公表、そして報告を求められて応じなかったり虚偽の報告をしたりした場合の20万円以下の過料という、段階的な枠組みです。そのため、「実質的な執行力がどこまで伴うのか」「社会の慣習が法律一つで本当に変わるのか」と、その実効性を疑問視する声があるのも事実です。司法が遠い社会において、行政手続きを軸とした法律が、即座に現場の理不尽を食い止める魔法の杖になるわけではありません。
しかし、この法改正がもたらす最大の意義は、すべての事業主に「従業員を守るための強力な大義名分」を与えた点にあります。
これまで「お客様に対して角が立つのではないか」と躊躇していた企業が、「法律で義務付けられた措置である」と堂々と防衛線を張ることができるようになります。司法という絶対的な盾が現場に届かないのであれば、企業自らが組織として「ここから先は社会通念上応じられない」と明確に線を引くしかありません。今回の法改正は、そのための社会的な足場となるのです。
目的は排除ではなく、対等な関係を取り戻すこと
カスハラ対策の真の目的は、消費者を排除することではなく、サービスを提供する側と受ける側が互いに尊重し合える「対等な関係」を取り戻すことです。
正当なご意見やご要望には真摯に向き合い、支援を必要とする方への合理的配慮は社会全体で守り抜く。その一方で、許容範囲を超えた要求には毅然と対処する。こうした当たり前の線引きが社会全体で共有されることは、私たちが暮らす地域のインフラや質の高いサービスを持続可能なものにしていくための、不可欠な一歩となるはずです。
改正労働施策総合推進法の施行日、労働者を雇用するすべての事業主が対象であること、事業主が講ずべき措置の内容は、厚生労働省が2026年2月26日に告示した「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」および同省の公表資料によります。助言・指導・勧告、勧告に従わない場合の企業名公表、報告義務違反に対する20万円以下の過料という履行確保の枠組みも同法によります。社会構造に関する見方は、筆者の見解です。