デカルト、ロック、カントが教えてくれる不動産実務 哲学から考える「契約」と「責任」のかたち
日々の業務で、不動産の売買や賃貸の契約書を作成していると、ふと「人間はどのように確実な約束を交わし、どこまで責任を負うべきか」という根本的な問いに直面することがあります。
お客様の中には、分厚い重要事項説明書や、特約事項がびっしり書かれた契約書を見て、「そんなに私のことが信用できないの?」と少し不安な顔をされる方もいらっしゃいます。もちろん、決してそうではありません。
今回は少し視点を広げ、17世紀から18世紀にかけての西洋哲学の対立と「統合」の歴史を切り口に、不動産実務における契約とルールのあり方をお話ししてみたいと思います。
「理性」を信じるか、「経験」を信じるか
世界の法律や契約ルールの違いは、しばしば二つの哲学的な立場の対立になぞらえて語られます。
日本が属する「大陸法」と重ねて語られるのが、デカルトなどに代表される「大陸合理論」です。彼らは、人間の理性によって筋の通ったルールを組み立てられると考えました。民法という大きなルールの体系があるため、日本の契約書は個別の条件を中心に簡潔に書き、「定めのない事項は誠意をもって協議する」と結ぶのが一般的です。何かあっても理知的に話し合えば解決できるはずだという、人への根源的な信頼がその土台にあります。
一方、英米法と重ねて語られるのが、ロックやヒュームに代表される「イギリス経験論」です。彼らは、頭の中の理論よりも、見たり触れたりした具体的な経験こそが確かだと考えました。英米法の契約実務では、人はミスをするし状況は変わるという前提に立ち、想定されるトラブルをできる限り契約書に事実として書き込む書面主義が強いといわれます。
カントの「統合」と、いまの不動産取引
この「理性(ルール)」と「経験(事実)」の対立に一つの答えを示したのが、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの『純粋理性批判』(1781年)です。カントは、どちらか一方だけが正しいのではなく、両方が組み合わさって初めて確かな認識に到達できると考えました。同書には、よく知られた次の一節があります。
内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である。
平たく言えば、具体的な事実のないルールは中身がなく、ルールを持たずに事実だけをかき集めても方向が定まらない、ということです。
実はこれが、いまの不動産実務における契約のあり方そのものです。2020年4月1日に施行された改正民法で、売主の責任は「瑕疵担保責任」から「契約不適合責任」に改められました。以前は「隠れた瑕疵」があるかどうかが問われましたが、改正後は、引き渡した物が契約の内容に適合しているかどうかが基準になりました。何が契約の内容なのかを書面で確かめておく意味が、それだけ大きくなったのです。
例えば、築40年の中古住宅を仲介する場面を考えてみます。民法というルールがあるから大丈夫だと過信し、物件の具体的な状態を書面に残さなければ、それはカントの言う「空虚」な契約です。引渡しの後で「話が違う」という行き違いが起こりやすくなります。
だからこそ、「和室の襖に5cmの破れあり」「給湯器は故障している」といったマイナス面をあらかじめ調べ、告知書(物件状況報告書)などに具体的な事実として書き出しておく必要があります。
一方で、細かな事実や違約の取り決めを書き連ねただけで、お互いの信頼関係や法律の大原則という枠組みが欠けた契約書も、カントの言う「盲目」であり、円滑な取引にはつながりません。いまの不動産取引に求められているのは、枠組みと事実の両方をそろえる、カント的な統合です。
「二極の責任」と「程度の責任」を切り分ける
契約を明文化する作業は、後からのトラブルを防ぐためだけのものではありません。誰がどこまで責任を負うのかを、はっきり区別するためにも欠かせません。
説明の範囲を契約の段階で曖昧にしておくと、「二極(白か黒か)で判断すべき責任」と「程度(グラデーション)で判断すべき責任」の区別がつかなくなります。
例えば、鍵を引き渡したかどうかは、したか、しなかったかの二極で判断する責任です。怠れば明確な契約違反になります。
一方、賃貸住宅の退去時に、通常の暮らしで生じた傷みとそれを超える傷みの境目がどこにあるか、清掃の仕上がりがどこまでなら足りるか、といった問題は、程度で判断する責任です。なお、通常の使用による損耗と経年変化そのものは、民法621条により借主の原状回復義務から除かれています。
日本の契約書に多い「誠意をもって協議する」という結び方は、この程度の責任を扱うのには向いていました。しかし、その曖昧さに甘えると、本来は白黒をつけるべき責任、例えば宅地建物取引業者による重要事項説明の漏れや、設備の明らかな故障までが、「お互い様だから」と程度の問題に紛れてしまうおそれがあります。
事実を書面に書き出しておくことは、この二つの責任を切り分ける作業でもあります。ここまでは白黒をつける、ここから先は協議の余地がある。その境界線を、契約書という形であらかじめ引いておくのです。
事実と向き合う「最高の誠実さ」
契約書に細かい事実や特約を書き込むことは、相手を疑っているようで、冷たい印象を与えるかもしれません。
しかし、人と問題を切り離して考える「原則立脚型交渉」の観点からも、感情や主観に流されず、事実とルールを客観的にすり合わせておくことは大切です。価値観が多様になったいま、将来の対立を防ぐには、枠組みと事実の両方を明文化し、責任の所在をはっきりさせておくことが、お客様の大切な資産と暮らしを守るプロフェッショナルとしての誠実さにつながると考えています。
うぇぶ山岸の活動などを通じた地域の皆さまとの温かいつながりは大切にしながらも、契約というビジネスの場においては、冷徹なまでに事実と向き合い、安心できる取引をお手伝いしてまいります。
本記事の民法の記述は、法務省の民法(債権関係)改正に関する解説資料および民法第562条・第621条によります。カントの一節は『純粋理性批判』(A51/B75)の邦訳によります。