山岸住宅産業有限会社 山岸住宅産業有限会社 盛岡くらしダイアリー 記事の一覧へ
盛岡不動産AtoZ

原状回復の見積もりは「材料」と「手間」を分けて書く

賃貸物件の退去時に、もっとも話し合いがこじれやすいのが原状回復費用の負担割合です。貸主と借主が感情ではなく共通の基準で話し合うには、見積書の作り方を見直すことが役に立ちます。

今回は、一体型の見積もりから一歩進めて、「材料費」と「施工費」を分けて示す考え方を整理します。目的は借主の負担を増やすことではなく、何に対する費用なのかを双方が同じ資料で確かめられるようにすることです。

前提となる二つの基準

原状回復の基準は二つあります。

ひとつは民法621条です。2020年4月施行の改正民法で、借主が戻す義務を負うのは、通常の使用による損耗と経年変化を除いた損傷であり、借主の責めに帰さない損傷は対象外であることが条文になりました。

もうひとつは、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」です。法的な拘束力はありませんが、裁判や調停で参照される実務の指針です。ガイドラインは、借主が負担する場合でも経過年数を考慮して負担割合を下げるとし、壁紙は6年で残存価値1円となるように算定するとしています(第1章Ⅱ3(2)①、別表2)。裁判例にも、この考え方をそのまま採用したものが数多くあります(東京地裁平成23年2月23日判決など)。

つまり、借主の過失による損傷であっても、長く住まわれた部屋のクロスの張替え費用は、借主の負担がほとんど残らないのが原則です。

見積書を「材料」と「手間」に分ける

ガイドラインは、見積書に表示される単価には材料費だけでなく施工費(労賃など)が含まれていることが多いと説明し、借主は貸主や管理会社に内訳を確認できるとしています(Q13)。また、貸主には敷金から差し引く費用の根拠を示す必要があり、借主は明細を請求できるとしています(Q17)。

そこで見積書では、費用を次のように書き分けます。

一つめは材料費です。クロス本体や糊などで、経過年数を考慮します。

二つめは通常の張替え工賃です。古いクロスを剥がして新しく張る、どの張替えでもかかる作業です。これも経過年数を考慮します。工賃だけを経過年数の外に出す扱いは、後で触れる裁判例のとおり認められていないためです。

三つめは追加作業の費用です。借主の故意・過失による損傷がなければ要らなかった作業で、たとえば穴のあいた下地ボードの部分補修や、ヤニが下地まで染みた場合のシーラー塗布がこれに当たります。

書き分けることで、借主は「経年分は貸主が負担している」ことと「追加の作業がなぜ必要だったか」を、項目ごとに確かめられるようになります。

耐用年数を過ぎても負担が残る場合

原則は残存価値1円ですが、それで借主の負担がすべてなくなるわけではありません。根拠は三つあります。

一つめは、ガイドライン自身の記述です。ガイドラインは、経過年数を超えた設備であっても、なお使える状態のものを借主が故意・過失で使えなくした場合には、本来の状態に戻すための費用(工事費や人件費等)が借主の負担となることがあるとし、クロスへの故意の落書きを消す費用を例に挙げています(第1章Ⅱ3(2)①)。

二つめは、裁判例です。耐用年数を過ぎた台所の壁クロスが著しく汚れていた事案で、張替え費用1万7000円の半額にあたる8500円を借主負担の原状回復費用と認めたもの(東京地裁平成28年12月20日判決)や、法定耐用年数を過ぎたユニットバスに生じたカビ・腐食・亀裂について、残存価値を7割と認めたもの(東京地裁平成29年3月30日判決)があります。使い方が著しく悪い場合には、耐用年数を過ぎていても一定の負担を求められる、という判断です。

三つめは、部分補修の扱いです。ガイドラインは、フローリングの部分補修のように、部分的に直しても全体の価値が上がらない工事は経過年数を考慮しないのが妥当としています(第1章Ⅱ3(2)③)。裁判例でも、借主の過失による壁ボードの穴の修理費は全額を借主負担とし、周囲のクロスの張替えは経過年数を考慮して減額しています(東京簡裁平成14年7月9日判決、ガイドライン事例17)。

なお、借主が損傷を残して退去した場合、貸主が受け取る原状回復費用は、借主が自ら直す義務の代わりに支払われるお金と位置づけられています(民法621条、事業用の事案として東京地裁平成29年12月8日判決)。貸主が手配する職人の作業費は、この「代わりに直す費用」として説明できます。

借主の負担が増えすぎないための線引き

一方で、範囲には限りがあります。ここを曖昧にしたまま運用すると、かえって不信を招きます。

まず、通常の張替え工賃は経過年数の対象です。ヤニで変色したクロスの全面張替えについて、張替え費用全体から経年による減価9割を差し引いて借主の負担を算定した裁判例があります(神戸地裁尼崎支部平成21年1月21日判決、大阪高裁平成21年6月12日判決、ガイドライン事例31・34)。前の節の裁判例も、負担を認めたのは費用の一部であって、工賃の全額ではありません。

次に、負担の単位は補修が可能な最小の範囲です。クロスは㎡単位が望ましく、借主の負担は損傷箇所を含む一面までとし、部屋全体の色や模様を合わせる費用は借主の負担としません(第1章Ⅱ3(3)、別表2)。タバコのヤニも、居室全体が変色した場合に限って居室全体のクリーニングまたは張替えを借主負担とするのが妥当とされています(別表2)。グレードアップに当たる材料の差額も含めません(Q13)。

さらに、損傷が入居中に借主の過失で生じたことは、貸主の側が示す必要があります。入居時の確認リストと写真がなければ、追加作業の根拠は成り立ちません(第1章Ⅰ1)。どの程度の負担が妥当かは、使い方の程度や設備の種類など個別の事情で変わることも、あらかじめ借主にお伝えしておくべき点です。

そのうえで、追加作業は「〇〇補修工事一式」とまとめず、「下地ボード部分張替え(〇〇室東面、穴1か所)」のように、どの損傷に対するどの作業かが分かる名前と数量で書きます。

この書き方の効用は、貸主がガイドラインどおりに経年分を負担していることと、借主にお願いする部分の理由を、同じ一枚の見積書の上で示せることです。根拠が項目ごとに見えていれば、話し合いは金額の押し引きではなく、事実の確認になります。

出典:国土交通省住宅局「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」平成23年8月(第1章、別表2、Q13・Q17、第3章事例17・31・34)、民法621条、みらい総合法律事務所執筆・監修『売買・賃貸 不動産トラブルQ&A』不動産流通研究所、2021年(Q47・Q49)

個別のご相談について

城下町のかたちが残る盛岡では、土地や建物にまつわる事情もさまざまです。 登記、境界、道路、相続。こうしたご相談を、人づてにいただくことがあります。 ご相談は完全予約制で承っています。 お電話は019-662-5353(10:00〜17:00)、営業時間外は050-1720-0971の自動応答で承ります。

詳しい手順は note に

このブログは盛岡の街のことが中心です。 不動産の手続きそのものの進め方と、その根拠は、note の連載にまとめています。

note連載の索引を見る 売却・購入・宅建業の各編を、回ごとに一覧できます

記事の一覧へ戻る